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ドレメにもスタイリストコースがあった時代がある。ひとつの学年で100人以上の学生が在籍していた。しかし現在、実際にスタイリストとして活動しているのはわずか数人と言われている。厳しいスタイリスト業界で生き残り、現在は若手スタイリストとして、雑誌、広告、アーティスト、テレビなどで多彩な才能を発揮して活躍中の市野沢祐大。活躍の理由、ファッション業界30歳のカベ、センスの磨き方などについて話を聞いた。

F+:お忙しいところありがとうございます。ついにお時間いただけました。

市野沢祐大(以下 市) :はい、こちらこそありがとうございます。よろしくお願いします!

F+:「2014年からはとにかく忙しい」と伺っています。

市:そうですね、今年はいろいろなお仕事をやらせていただいています。2013年の年末にやらせていただいた、雑誌『装苑』さんでのスタイリングがきっかけかもしれません。2014年に入ってからは、コンバースさんの広告、乃木坂46さんのPVやCM用の衣装制作、ファッションブランドFLAVORICH(フレバリッチ)さんのスタイリング、Cody Sanderson(コディーサンダーソン)という指輪やアクセサリーブランドの企画や内装、『ゲスの極み乙女。』さんというアーティストのスタイリング、THE TURTLES JAPAN(ザ・タートルズ・ジャパン)というバンドのスタイリング、flumpool(フランプール)さんのスタイリング……などなどをやらせていただいています。

F+: ものすごい活躍ですね!

市:本当にありがたいです。スタイリストは自分ひとりでできる仕事ではないので、協力してくれた方々に、ものすごく感謝しています。たとえば、乃木坂さんの衣装を担当したときは、ドレメで学生時代から親しくしていて、今は『Bodysong』というブランドをやっているデザイナーの青木さんに手伝ってもらいました。現役のドレメの学生さんたちにも手伝っていただきました。乃木坂さんの案件は3日間で17着制作したので、あまり寝る時間がありませんでしたね。ドレメの学生さんはちゃんと洋服が縫えるし、ものすごく集中してがんばってくれたので、本当にすごく助かりました。

F+ : 3日で17着というのは恐ろしいスピード感です。

市:ホント恐ろしかったです(笑)。時間としては2週間くらいあったのですが、サンプルを出したり生地を探していたら、あっという間に時間がなくなってしまって……。無事に撮影が終わったときはホッとしました。実はこの前、ドレメのオープンキャンパスでお話しさせていただく機会がありまして、そのときにこの乃木坂さんの話をしました。17、18歳くらいの若い子たちにとっては、みんな知っているアイドルなので、興味を持って聞いてくれたと思います。ただ、「3日間ほとんど寝ないで作る」の話のところは、若干ひいてましたね(笑)。そしてそれ以上に、一緒に来ているお母さんたちが驚かれていました。「そんなにやるんだ……。ファッション業界って大丈夫かしら……」という空気になっていました。クリエイティブな新しいものを生み出していこうとすると、体力的にしんどいことがあるのは事実だと思います。隠してもしょうがないので、正直に伝えました。自分がやってて楽しいことに一生懸命取り組めるんだよ、ということが伝わっていればいいなと思います。

F+: 市野沢さんは様々なジャンルのスタイリングをされていますが、テイストや方向性は、基本的にクライアントさんから要望があるのでしょうか?

市:仕事にもよりますね。たとえばコンバースさんと乃木坂さんは、偶然かもしれませんが、「今までとテイストを変えたい」という同じような要望がありました。ガチガチに方向性が決まっているわけではなかったので、わりと自由にアイデアを形にしていくことができましたね。Cody Sandersonの場合は、日本での初お披露目の企画段階からやらせてもらいました。どう売り出すか、どういう世界観で見せていくか、というところまで関わることができました。仕事の全体的な流れとしては、最初はもうどんどん提案です。提案して提案して提案していきます。そこから話をしてイメージを確認しながら、いらないところを削ったり、弱いところを足したりしながら、最終的な形にもっていきます。ちなみにCody Sandersonのときは、内装もやったので家具が必要になったのですが、そのとき助けてもらったのもドレメ出身の方です。ドレメ出身の方で、家具屋をやられている方が力を貸してくださいました。ドレメを卒業した方々はあまり表舞台には出てきませんが、いろいろなところで活躍されてるんだな、と仕事をすればするほどわかってくる気がします。

F+: ドレメネットワークは実はすごそうですね。音楽系のアーティストさんとの仕事も多いようですが、どのように仕事を依頼されるのでしょうか?

市:プレスの方からの紹介が多いですね。『ゲスの極み乙女。』さんは、まさにプレスの方からの紹介でした。最初にゲスの極みさんとお会いして、僕がやってきたことや興味がある方向性などをお話しさせていただいたり、彼らの方向性を聞いたりしました。その結果、お互いに「いいね」となったので担当させてもらうことになりました。タートルズジャパンさんもflumpoolさんをやっていたつながりではじまりましたね。

F+: 紹介が多いんですね。このタートルズジャパンさんのかぶりもの、かっこいいですよね。

市:ありがとうございます!それ、僕が作ったんです!

F+: 自分で作ったんですか!?

市:自分で作りました。タートルズジャパンさんとの打合せのときに、イメージを聞いてみると、『近未来の民族』というキーワードが出てきました。あちらが準備してくださっていたイメージ画像には、リックオゥエンスやハイダーアッカーマンのような画像が入っていたんです。そこに『部族・民族』のイメージをプラスするために、トゲトゲしい感じのものを取り入れて作っていきました。打合せが終わったときに、「とりあえず作ってみてよ」と言われたので、サンプルを2日で作りました。

F+: 2日でこのサンプルを!?

市:はい、すごく楽しかったです。やっぱり作っていく仕事はやりがいも充実感もあります。ずっとやっていきたい仕事だな、と作りながら思いましたね。いつか自分が作ったもので、展覧会を開きたいと考えています。実はこのヘッドピースのサンプルは、ホームセンターでパーツを集めたんです。けっこうちゃんと作っているんですよ。ライブで頭を振ってもヘッドピースが外れてしまわないように、工事現場の人がライトをつける場所あたりは、カチカチ音がでるベルトみたいなもので締められるように作っています。機能性にも気を配って制作しました。

F+: すごい!ちゃんと実用性もあるんですね!

市:そうなんですよ!そこをわかってもらえるとうれしいです!ただですね、このヘッドピースにはひとつ問題があります。けっこうなニオイなんです……。ニオイがつきやすくて、しかも取れにくい。だから保管するときは、ファブリーズをシュシュッって連発してやるようにしています(笑)

F+: 楽しみにしています!スタイリストとしてものすごく活躍されていますが、その理由はご自身ではどのあたりにあると思いますか?

市:うーん……自分の分析はむずかしいですね。僕はストリートはやりたくなくて、ずっと自分のスタイルをやってきました。リアリティーがあまり好きではないので、レイヤードの提案をしてきたし、スタイリングの色味についてもあまり他の人が使わないようなものを使ってきました。そういった他の人とはちがうところが評価されたのかな、と思います。

F+: 他には何かありますか?

市:洋服が作れるところでしょうか。そうですね、これは強みだと思います。一般的にですが、スタイリストの人は洋服を作れないです。スソ上げやちょっとしたお直しは、みなさんやっていますが、ゼロから洋服を作るスタイリストはほとんどいないような気がします。そこが、他のスタイリストとはちがうポイントかもしれません。それからSNSの力を使えたところも大きかったと思います。フェイスブックやインスタに作品をアップしていたら、ファッション業界の知り合いから「あれ見たよ!」と言ってもらえたり、プレスの方が僕のことをSNSで紹介してくださって、そこから仕事につながっていくこともありました。

F+: これからのスタイリストは、洋服が作れないと厳しいということでしょうか?

市:必ずしもそうではないと思います。ただ、たとえばEXILEさんを例にあげれば、スタイリストよりも、衣装をつくる『衣装スタイリスト』さんのほうが人数は多いです。アーティストに限った話ではありますが、今は昔に比べてグループで活動されていることが多いです。だからグループとしての統一感を求められます。以前は個人のアーティストさんのほうが多かったので、スタイリングでまかなうことができました。ですが、たとえば今は、ジャケットを作ってイメージをそろえたりすることが大事になってきます。そういう意味で、「スタイリストの市野沢に頼んだら、きっといいものが出てくるだろう」と作るものを期待してもらえて、僕個人の色を出していける場が増えることは、すごくいいなと考えています。

F+: なるほど。スタイリストとして様々な領域で活躍されていますが、仕事で常に意識していることはどのようなことですか?

市:絶対に同じものは使わない、ということです。たとえばflumpoolさんでいえば、最近は1ヶ月で20本以上の仕事が入りました。彼らのイメージもあるのでベースは同じにする必要があります。だけど同じようなスタイリングには絶対しません。同じブランドも使わないようにして、必ず変えるようにしています。今まで見たことないような提案をしたいんです。そこを意識していますね。ファンの方からは、「こんなflumpoolはじめて!」というような嬉しい声をいただくこともあります。ですが、実際にスタイリングを組んでやってみるまでは、どんな反応がファンの方々から来るかはわかりません。今まではスーツでカチッとしたflumpoolでしたが、ゆったりしたカジュアルなテイストも提案していっています。ファンの方々がどう感じるかはやってみないとわからないです。アタリかハズレかわかりませんから、反応が怖いところも正直あります。それでも新しい提案、新しいチャレンジが大事だと思っています。今まで通りで流れに乗るだけの、なぁなぁな感じでやっていきたくないんです。だから新しいブランドもどんどん使っていくし、有名ではないブランドで全身をスタイリングすることもやっていきます。そういうところで面白さを出していきたいと考えています。

F+: そういう考え方は、スタイリスト業界に入ったときから持っていましたか?

市:小学生のころからかもしれません。人と同じことがとにかくイヤだったんです。友達がみんなナイキを持っていれば「おれはプーマだ!」みたいな子供でした。まわりの人と同じでは満足できないところがあって、今の考え方につながっているのかもしれません。そう考えると、子供のころから根本は何も変わっていないのかもしれませんね……(笑)

F+: スタイリストになるまでのプロセスを教えていただきたいです。まずはドレメにいるときの、ファッションビジネス科(現 ファッションサービス科)の担任の先生はどなたでしたか?

市:1年生のときは中村先生で、2年生のスタイリストコース(現在コース分けは廃止)のときは白倉先生でした。

F+: スタイリストコースでは何を学んでいましたか?

市:スタイリング実習という授業がありました。テーマを決めて、みんなの私物の服をクラスメイトに着てもらってプレゼンをしていましたね。そして実際のスタイリストの方に来てもらって、アドバイスを受けていました。

F+: 実際の仕事で役に立ったことはどのようなところですか?

市:プレゼンの授業を多くやっていたので、イメージをWEBから探してきたり、人前で話すことは自分にとってプラスになりましたね。ただ、実際の仕事は現場を経験しないと身につかないことが多いと思います。

F+: クリエイティブなことより、情報収集やプレゼンの授業が土台になっているということですね。

市:そうだと思います。CG(コンピューター・グラフィック)の授業でWord・Exelもやっていたので、自分のブック(ポートフォリオ)を作るときにはかなり役に立ちました。

F+: 卒業してからはどなたかのアシスタントとして下積みをしていたんですか?

市:はい。スタイリストの岡部俊輔(おかべ しゅんすけ)さんのアシスタントをやっていました。でもその前にロケバスの会社に就職しました。

F+: ロケバス!? それはスタイリストとして就職されたんですか?

市:いや、雑誌などロケ(屋外)撮影の時にカメラマンさんやスタイリストさんをロケバスで運ぶんですが、そこで撮影の手伝いをしていました。それが2年間くらいですね。

F+: なぜロケバスの会社に就職しようと思ったんですか?

市:もうお金がなかったので最初からスタイリストのアシスタントをできなかったんです(笑)。貯金も無かったし、親にも反対されていたので稼がないといけなかったので。スタイリストはアシスタントになると、お給料がもらえないことが多いんです。でもロケバスの仕事は、基本的に土日が休みで時間に融通が効くので、作品作りをすることができました。そこで知り合った方の仕事を回してもらったりしていましたね。お金を稼ぎながら人脈を作り、自分の活動を並行してできたのでそこは良かったと思います。

F+: 師匠の岡部さんとはどのように知り合ったんですか?

市:それがロケバスの仕事なんですよ。ロケバス時代に、ある有名なスタイリストさんの仕事を手伝っていたんですが、当時岡部さんがその方のアシスタントをやっていたんです。それから年月が経ち、「ロケバスの仕事も2年やったので誰の下につこうかな」と考えたときに、ちょうどその頃岡部さんが独立をしていて、撮影の手伝いもしていたので岡部さんに決めました。

F+: ロケバスの仕事は人脈も作れてとても良さそうな環境ですね。ロケバスからではなく、スタイリストになるためには一般的にどのようなルートがあるんですか?

市:雑誌のスタイリスト募集の記事を見て、そこから業界に入ってくることが多いです。ロケバスの仕事はお金を貰いながら、現役のスタイリストさんや、自分が独立したときにお世話になるプレスの方と知り合えて、さらに作業もできたので自分にとってすごくプラスになりました。

F+: 最初からそこまでわかっていて、ロケバスの仕事に就いたのですか?

市:わかっていました。アシスタントになる前から自分で運転して、洋服のリース(雑誌に掲載するためにブランドから商品をレンタルすること)ができて、返却ができるという武器を持ってアシスタントになりました。

F+: 市野沢さんのような経歴でスタイリストになられる方は多いんですか?

市:いや、このやり方はまだ聞いたことがありません!元々体育会系な仕事ですから、返却を一日で70件とかガツガツやらされます。だからアシスタントになってからは楽に感じましたね。女性の場合は、最初は慣れるまで大変かもしれません。でも慣れてしまえばアシスタントになってからは、きっと楽にこなせると思います。

F+: スタイリストになりたくてどうしたらいいか考えている人にはすごくいい方法ですね。

市:この方法はおススメできます(笑)。

F+: スタイリストの仕事はすごく大変で、スタイリストのアシスタントになれても、途中であきらめてしまう人も多いと聞きます。

市:そうですね、僕が言うのも少しおかしいですが、大変な仕事です。やめてしまう人も多いです。アシスタント時代はお金をもらえることが少ないし、仕事もハードなので本当に大変でした。忙しいときは寝ている場合ではないときもあるので、体力的にもけっこうキツイときがあります。アシスタント時代に車を運転していて、赤信号で止まっていたら後ろの車からプップップーってすごい鳴らされたことがあります。「なんだよ、赤信号じゃん」と思ってよく目を開けて見たら、信号は50メートルくらい先なのにブレーキを踏んで車を止めてしまっていました。寝ちゃってたんです。ホントに危なかったな~って今は思います。あまりに眠すぎて、高速道路の路肩に車を止めて30分くらい寝たこともありますね。

F+: 危なすぎます……。

市:そうですね、今思えば危ないです。こういう部分だけ話をしてしまうと、かなり誤解されてしまいそうですが、スタイリストの仕事はたしかにツラいこともありますけど、嫌なことばかりではありませんよ(笑)。クリエイティブを追求しようと思えばいくらでもしていけるし、自分の個性を出して評価してもらえるし、充実感や達成感を味わえることもたくさんあります。苦労話を伝えたいわけではなくて、追求心とか好奇心を持ってがんばっていこう、というメッセージとして受け取ってもらいたいです。

F+: そうですよね、厳しいところだけ聞いてしまってすみません!スタイリストという仕事は、具体的にはどのような仕事内容なのでしょうか?

市:案件によって変わってきますが、基本的には、まずクライアントから依頼があって、打ち合わせをします。「何日後に撮影があるので、こういうテイストの洋服を使いたい」という依頼をいただくので、「こういう服がありますよ」という提案をします。それから何日後かに、「フィッティング(実際のモデルなどに洋服を着せて撮影前の確認をすること)をしましょう」となるので、その間にリースをしてすべての服を用意しておきます。だいたいフィッティングの翌日が撮影になることが多いですね。ひとつの仕事の流れとしては、打ち合わせ、リース、フィッティング、撮影、返却を1週間単位で完結させる感じです。

F+: ブランドから借りた商品の中で、使用しないものもありますか?

市:あります。スタイリストによっては1つのコーディネートで30~40着くらい用意する人もいるくらいです。特に大手のクライアントの場合ですと、どれだけ服を集められるのかを見せていかなければなりません。そこが気合の見せどころですね。

F+: 借りるものなので取り扱いが大変そうですね……。

市:そうなんですよ。底が革の靴も全部裏張り(靴底が傷がつかないようにテープなどで保護すること)をしたり、シルクだとアイロンもかけられないし、シャツはシワを全部アイロンで消して……、といろいろ気を配るポイントがたくさんありますね。

F+: アイロンがけが上手になりそうです。

市:そうですね。最初の頃に比べると、スソ上げもかなり上手くなりました。スーツを借りたら全部裾上げをしなくてはいけないですから、スピードアップもしましたね。一日10本以上のスラックスをスソ上げしたり、現場では1本10分で仕上げなくちゃいけないこともあります。

F+: 撮影現場は壮絶そうです……。逆にデスクワークもあるんですか?

市:デスクワークもあります。アシスタント時代は『リサーチ』という仕事がありますね。たとえば雑誌の仕事で、「今回はデニムの特集にします」となったら、まずアシスタントはブランドのプレスに行き、写真を撮ってきます。それを何百も集めて資料にします。これはどこのデニム、これはあそこのデニム、という膨大な数のデニムの情報を集めて、資料を作って提出します。

F+: アシスタントになるとクリエイティブなこと以外にも、事務作業をこなしていかなくてはならないわけですね。

市:そうです。現場でさんざん体を動かした後に事務作業があるので、猛烈に眠いんですよ(笑)。 眠いまま仕事をするので、誤字脱字がどうしても増えてしまいます。その状況でどれだけ体に鞭を打てるかの勝負になってきますね。今日エナジードリンクを何本飲んだっけ?という感じでやってました(笑)。

F+: 寝れないのは辛いですね……。

市:その他にも雑誌の仕事だと、クレジット(通常雑誌に掲載された商品はブランド名、商品名、値段などの情報を、商品とあわせて記載される。その情報のこと)の確認があります。雑誌の校正(掲載前に間違いがないか確認すること)が来るので、ブランドや値段に間違いがないか確認します。こういうのは完全に事務作業ですね。肩も凝ります(笑)。

F+: 体力的に疲れたあとに、頭を使う細かい作業は大変ですよね……。

市:そうなんですよ。ツラかったですね。実は僕、アシスタント時代にクレジットをミスしてしまい、バリカンを使って丸坊主になったことがあります。当時はもう、それ以外に反省を伝える方法が思い浮かばなかったのです。

F+: そうなんですね……。アシスタント時代は撮影よりも、事務作業のほうが多いのでしょうか?

市:そうですね。実際の撮影は数時間で終わりますが、事前準備と撮影後のケアは数日かかります。細かい事務作業は、アシスタント時代に乗り越えなくてはならない大きなカベと言えるかもしれません。

F+:現在は市野沢さんにもアシスタントさんがいらっしゃるそうですが、やはりハードに働いているのでしょうか?

市:いや、ハードさで言えば、僕がアシスタントのときとは違いますね。今の子は僕らのときとは育った時代も感性も違いますから、試行錯誤しながら成長してもらっている感じです。今は僕にとって4人目のアシスタントなのですが、最初はうまくいかなくて、いろいろ悩みましたね。

F+: アシスタントの方が、すぐにやめてしまうということでしょうか?

市:だいたい1ヶ月とか2ヵ月でやめてしまう感じかもしれません。たとえば、僕の知り合いのスタイリストに、雑誌で大活躍している人がいます。その人は活躍されているので、「アシスタントになりたいです!」と言って、応募してくる人はいるんですね。だけど、やはり活躍しているわけですから、扱うモノの量もかなり多いんです。そうなるとやっぱり作業的にも大変ですので、新しくアシスタントが入ってきても、すぐにやめてしまう。もう10人くらいはやめていると思います。

F+: それだけ厳しい世界なんですね。どうして続かないと思いますか?

市:憧れのスタイリストがいないからかもしれません。カリスマがいない。2000年くらいの頃は、祐真朋樹さんや野口強さんといった、超有名でカリスマ的なスタイリストがいてくれました。あのころはたくさんの人が、こんなにかっこいい仕事があるのか!スタイリストになりたい!と憧れていました。でも2005年くらいから、業界の仕組みと言うか、スタイリストの現実の仕事内容が一般に認知されはじめて、「超大変な仕事なんだな」という空気になってきました。本当にファッションが好きで、いい意味で「ファッションバカ」でないと、やっぱり気持ちが続かないんだと思います。

F+: スタイリストという仕事の楽しさや魅力が、若い人に伝わっていないのでしょうか?

市:うーん……。それもあるのかもしれません。雑誌の影響もあるのかな、と個人的には考えています。2000年くらいにカリスマと呼ばれる方々が活躍されていたころの雑誌は、今よりもビジュアルがかっこよかったと思います。大衆向けではないファッションの視点も取り入れてページを作っていました。だけど今は、ほとんどの日本のファッション雑誌は大衆向けのビジュアルです。若い人にとっては、見ていてワクワクできて、チャレンジしがいのある仕事だとは思いにくいのかもしれません。

F+: 日本の若い世代のスタイリストにとっては、あまり良くない状況なのでしょうか?

市:残念ですけど、日本のスタイリストの質は確実に落ちていっていると思います。たとえば雑誌の『装苑』では、毎年若手のスタイリストを集めて「ニューカマー」という企画をやっています。僕もそこに出させていただきました。だけど編集の方に話を伺っていると、「ニューカマーの企画自体が無くなってしまうかもしれない」とおっしゃっていました。それだけ若手の人材が育ってきていないのです。

F+: それはファッション業界にとって良くないことですよね。

市:本当にまずいことだと思っています。若手スタイリストの育成は、業界的には大きな課題です。スタイリストを途中であきらめてしまった方が、お金を安定してもらえるテレビ業界のスタイリストになっていくことは納得できますが、みんながみんなそういう考えになってしまうと、業界としてクリエイティブなことに挑む人がいなくなってしまうのではないか?と心配になってしまいます。もちろんテレビ系のように雑誌系のスタイリストも、ちゃんと若手にお金を払ってあげて、次世代を育てていくべきだとは思います。

F+: テレビ系のスタイリストはお給料がいただけるんですね。

市:スタイリストをテレビ系と雑誌系に分けるとすれば、テレビ系のほうがお金はもらえると思います。ただ、テレビ系のスタイリストも決して楽な仕事ではありません。「お金がいいからテレビ系スタイリストのほうがいいよ」と言っているわけでもないので、そこは勘違いしないでくださいね(笑)。

F+: 市野沢さんはどうして雑誌系スタイリストをやめて、テレビ系に行こうと思わなかったんですか?一回もやめようとは思わなかったんですか?

市:やめようと思ったことなんて10回以上ありますよ。あるに決まってますよ(笑)。「もうやめよう、もうやめよう、もうダメだこれは、絶対に今日やめよう」と思ったことがあります。でもなんとか乗り越えることができてきて、今がある感じです。僕は地元を出てくるときに、周りの人にかなりエラそうに宣言してきていたんです。「俺は東京で仕事して、スタイリストで活躍して食っていくから」って。何の根拠もないのに威張ってエラそうに、みんなにそう言ってしまっていました。だから雑誌系スタイリストをやめて他のことをやるなんて、カッコ悪くてできなかった。やめそうになっても、「やめたらもう地元のみんなには会えない」と考えて、こらえることができたんだと思います。

F+: プライドですね。

市:もうそこは意地みたいなもんですね。仕事を続けるかどうかの話でいえば、ファッション業界には30歳のカベがあって、スタイリスト業界にも35歳のカベがあると思っています。僕のまわりもそれくらいの年齢になってきて、ファッションの道でいくか、別の道をいくか、と悩んでいる人が出てきていますね。

F+: ファッション業界30歳のカベってどういうことですか?

市:多くの人が将来をどうするか迷うのが30歳くらい、という意味です。たとえば僕の友達でショップの店長をやっている人がいます。その友達は「このまま60歳までずっとお店に立ち続けるのかな」と将来どうするかを迷っていますね。彼は販売をメインでやってきているので、デザイナーやパタンナーとして、「売る側」から「作る側」になることはあまり現実的だとは思っていないようでした。だけど結婚もして子供もいるから、仕事はしなくてはいけない。でもずっと販売の現場でやり続けることには迷いがある。まわりの話を聞いていると、30歳くらいでファッション業界を離れる人もいれば、いろいろ考えて「販売でやっていく」と決断する人もいます。そのタイミングが30歳くらいなんですよね。

F+: なるほど……。状況はそれぞれですが、たしかにカベがありそうですね。スタイリスト35歳のカベはどういうものでしょうか?

市:スタイリストは独立するのがけっこう早くて、20代後半くらいの場合が多いです。最初の1年くらいは全然仕事がなくて、なんとか紹介でいただいた仕事に全力を出して生き抜いていく感じです。2年3年とやっていると、だんだんお仕事をいただけるようになってきて、30歳くらいで少し安定してきます。そこから3年4年くらいは実績も積んでいけるし、仕事もいただけることが多いのですが、35歳くらいになると状況が変わってきます。自分たちが20代後半のときに仕事をまわしてもらったように、次の世代の若い人に少しずつ仕事が移動していくんです。そのときまでに、インパクトのある仕事をしてポジションを作っておかないと、けっこう厳しい感じになってきますね。スタイリストをやめて地元に帰って、飲食店をやっている方もいますし、ちょうど35歳くらいがスタイリストとしてのカベが来る頃だと思っています。

F+: 35歳を越えても活躍できるスタイリストさんは、どこがちがうのでしょうか?やはりセンスがちがうのでしょうか?

市:センスももちろん重要です。だけど生き抜いていくには、センスよりも実力が大事かもしれません。

F+: センスと実力はちがうんですか?

市:『センス』という言葉は、その言葉を使う人や、状況によって意味が変わってきますよね。たとえばブラックミュージック的な意味のセンスと、ポップカルチャー的なセンスの意味はちがうと思います。『何でも上手く合わせることができるセンス』っていうのもあるかもしれないですけどね。僕が言っている『実力』というのは、スタイリストでいえば、『どれだけ早くたくさんの服を集めることができるか』などのことです。この人に頼めばなんとか用意してくれるだろう、と思ってもらえて依頼がくる。これはまさに実力です。そういう意味では、センスより実力のほうが大事だと思います。

F+: やはり実力は現場で仕事を経験しながら身につけていくものなのですね。では、もし若い20代前半の人から、センスが欲しいんです!と相談されたらどう答えますか?

市:そうですね、最初にどういうセンスが欲しいのかを聞いてみますね。その答えにもよりますし、その人の現状にもよると思いますが、おそらくまずはいろいろなものをたくさん見るところからだと思います。アシスタントの子たちを見ていて思うこともありますが、センスがないというよりも、土台となる知識が足りないと思います。見ているものの量が圧倒的に少ない。ファッションに関わるなら洋服をたくさん見ることは当然として、たとえば僕でいえば、建築などからもインスピレーションを受けて色合いを決めることもあります。とにかくいろいろなものを見ることです。自分から興味を持って動いていく。自分から動いてものを見に行く。そこからだと思います。

F+: ものをたくさん見るときは、どう見たらいいんでしょうか?見る量を増やしつつ、何か意識したほうが良いところはありますか?

市:どう見るか、ですか。そこがまさに個性につながってくるところだと思うので、答えを伝えるのがむずかしいですね。ただ、センスを磨いて自分がどこにいくのか?と自問自答したり、元々はどういうものが好きだったのか?を思い出してみるのはいい方法だと思います。無理やり何かを好きになったりしても、あまり意味がないと思います。好きなジャンルを選んで、それと向き合って追求していく。そういう姿勢でたくさん動いて、たくさんのものを見れば、センスが磨かれていくと思います。

F+: 市野沢さんご自身は、スタイリスト35歳のカベに向けて何か準備されていますか?

市:いつも35歳40歳のときのことをイメージして仕事をしています。いまのうちに面白いことをたくさん形にしていこう、という気持ちです。たとえば、いま僕が所属しているエージェント(ワールドスタイリングコーポレーション)では、原宿に3フロアを借りていまして、その1つのフロアが地下にあるんです。そこでブランドの展示会を行っているのですが、今後海外の新しいブランドを日本で紹介する場にしたり、まだ知名度がないけど「これはいい!」という実力のある国内ブランドを紹介する場所を作って行きたいと考えています。

F+: 今後の道としては、スタイリストよりもプロデューサーに近い立場になっていくということでしょうか?

市:肩書でいえばそのほうが近いかもしれません。技術があって面白いブランドなのに、売れなくて消えていってしまうブランドがかなり多いので、そこをなんとかしたい気持ちがありますね。僕と同世代でも、実力のあるメゾンで働いていたデザイナーが独立して、自分のブランドをつくりはじめた人が増えてきました。とにかく今は売る手段が減ってきています。以前は、地方のセレクトショップが数百万単位で買付してくれたのですが、今はそういうこともありません。だから実力があるブランドを応援するというか、一緒にやっていけるようにしたいと思っています。

F+: 面白いブランドが消えてしまうのはたしかにもったいないですね。他には何か準備されていることはありますか?

市:僕が所属しているエージェントでは雑誌も作っていて、ディレクションも少し関わっています。撮影もすべて海外でやり、内容も日本語と英語で書かれていたり、日本の雑誌には無い企画をやっています。世界に発信したい日本のブランドや、地方セレクトショップ特集なども企画中です。あとはBodysongの青木さんや、仲間5人で「dinner」というアート集団を組んでいます。『日本のクリエイティブを世界に発信する』というコンセプトで展示会を開催しています。最初はみんなお金が無かったので、白黒印刷のフライヤーをショップに置いてもらっていたり、twitterや海外のWEBサイトに告知を載せてもらったりしていました。そうしたら台湾のVOGUEから取材が来たり、Lady GAGAが衣装で使いたいという話や、ニコラ(フォルメケッティ / スタイリスト、「DIESEL」アーティスティック・ディレクター)がスタイリングで使いたいという話があり、衣装を作りニューヨークとロンドンに送ったりしました。その時はまだ21、22歳だったんですけど、自分たちからアクションを起こせば、予想もできないような事が起こるんだなって実感した経験でしたね。

F+: 市野沢さんのお話を聞いてると、スタイリストという職業を極めたいという目標と同時に、日本のファッションカルチャーを変えていきたいという想いがあると感じました。

市:あります。それはすごくあります。“メディアへの挑戦状”というか、そこで何人に共感してもらうかというよりも、どんどん新しいことを見せていきたいです。どれだけ制限があっても、自分だけの個性を出して、形を作っていくのが今後の目標ですね。自分でものづくりもやって、周りのデザイナーたちと一緒に、日本のクリエーションを世界に発信していきたいです。色々なブランドを巻き込んで、新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。

F+: 今日は貴重なお話が聞けて良かったです。ありがとうございました!

市:こちらこそありがとうございました。

1:何をきっかけに今の仕事を志しましたか?

A:デザイナーかスタイリスト、迷いながら高2の夏休みにドレメの体験入学に行きました。学びながら考えていき、デザイナーよりスタイリストの方が向いているな、と思ったからです。

2:今の仕事の辛い事、楽しい事。

A:辛い事 → 決定事項がギリギリ、いつも余裕がない。
楽しい事→スタイリング、作品が高く評価された時の達成感が何ともいえません。

3:今の仕事の他に関心のある事、またはアイデアの源。

A:アイデアは常に街中に転がっているので、車に乗りながら、人、建築物を見ています。

4:仕事に対しての信念、決まり事。

A: 妥協はしない。

5:ドレメに通っていて良かった事、役立った事。

A:多くの人と学び、沢山の刺激を受けることができた事。
リサーチの授業は物を見て、触って、トレンドを知り、新しい物に触れる良い機会になりました。卒業制作の際には、みんなで作る団結力、プレゼン能力が身に付いたと思っています。自己主張のある方が周りに居たので、自分も『負けない』と常に思えました。


最後にファッションを学んでいる学生や、今から学ぼうとしている人々に向けて一言。

A:ファッションのフィルターを通して自分に何が出来るか? 街に溢れるファッションだけでなく、沢山の雑誌、映画、音楽に触れて、その中から自分らしさを見つけてほしいです。「みんなにもっと知ってもらって共有したい!」と思いながら仲間を増やしていけば、社会人になってからその仲間が、大事なファッション業界のパートナーになり得るかもしれません。ファッション業界での仕事や活動を、学生時代のドレメの仲間達で出来ることが、今の僕の糧です。楽しい事、大変な事、いろいろあるけどすべてがファッションの糧です。皆さん頑張って下さい!!

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  • 市野沢 祐大
  • Yudai Ichinosawa
  • 茨城生まれ。2013年、独立。 メンズ・レディスを問わず、国内外の雑誌、広告、ルックブック、アーティスト、映画、音楽、エキシビジョンなどあらゆる媒体のスタイリストとして活動。 スタイリング以外で展示会の内装制作、ビジュアルメイキング、アートディレクション、ブランドとのコラボレーション制作を行う。 またアーティスト団体dinnerの創設者としてLadyGagaの衣裳制作、海外アーティストの衣裳提供、国内でのアートエキシビジョンに参加し活動している。

    http://yudai-ichinosawa.com/

FASHION PLUSとは、ドレメが培ってきた伝統に新しい価値観を加え、そこで生まれたクリエイティブのヒントを共有するプロジェクト。

現在ファッションの世界では職種の細分化が進んでいますが、その反面求められている資質は年々多様になっています。しかしファッション教育の現場では、従来の方法で全てに対応する事は難しいというのが現状です。
そのような中、今まで築き上げてきた伝統に新しい価値観を加えて、ファッションやものづくりを見つめ直す時期にきているかもしれません。 FASHION PLUSではWEBメディアを使って、ファッションだけではなく、卒業生や他分野のクリエーターのインタビューなどを掲載。「ものづくりに関わること」の楽しさを伝え、そしてファッションに関わる様々な情報を在校生やこれからファッションを学びたいという人々に対して発信していく事が目的です。

杉野学園ドレスメーカー学院のオフィシャルサイトはこちら:http://www.dressmaker-gakuin.ac.jp/